私の脳みその中

思考整理するための場所。雑多です

退職しました。

 

またやってしまった感。

やってしまったのではなく、「正当な理由により職員が一斉退職。継続困難なため会社が倒産」することとなったのだ。

 

何がやってしまった感というと、私自身の職歴を見ると連続した短期離職。

 

以前行ったMBTIテストの先生に「転職は悪いことじゃないから」

実際に会社で面接を行っている夫に「転職時に明確な理由があれば大丈夫だから」

と言われたことを心にとどまらせ、深呼吸。

 

こんな時に、人と話す回数が極端に減る。

それもそう。20代後半で、地元でもない場所で。家族以外の仲のいい人で気軽に声をかけられる人なんていないもの。

こうなってくると、インプットばかり増え、アウトプットする機会が減る。

その行く末がこのブログなんだと思う。図書館で本を読んでいたら、ふと思い出した。

 

そんなこんなでまたゆるりとブログ再開されます。

 

 

 

ちなみに私のMBTIは「ENTP」でした。

1万5千円+α払った自己分析の結果です。

 

家以外の場所での掃除

不思議な現象が起きている。

 

 

職種とは関係ない業務ももちろんやることになるし、職場が狭いのであれば掃除ぐらいする。

私は会社員であり、清掃員ではない。だが、中小企業でよくあること。

 

みんな「それは私の仕事じゃない」みたいな顔をしながら過ごしてる。

そんな無言の空気の中、仕事がひと段落した私は気分転換に床掃除を始める。

 

 

記憶の片隅に残る。あるホストがトイレ掃除が基本だと

高校の部活動でも、強い学校は掃除に力を入れている

大手会社の紹介でも、トイレ掃除は欠かさなかったとか

 

本当かよ!と思いながらなんとなく見てた。

でも、今となってはなんとなくわかるかもしれない。掃除をした後の職場はなんとなく空気の流れがいい気がする。

リセットされて、よし頑張るぞってなる。

いいか悪いかわからないけれど、髪の毛がたくさん落ちてたり、食べかすが落ちている場所で仕事するのはなんかいや。

 

 

、、、あ。同期の人が私を見て、掃除をし始めたぞ。

ありがとう。でも罪悪感?自己嫌悪?からくる私も掃除しなきゃ見たいなのだったらしなくていいからね。そんな心配のような卑屈のような言葉が頭の中で浮かびながら、一緒に掃除をする。

そんな一日。

 

 

会社の掃除

 

小学生の時から掃除の時間があり

中学、高校になるにつれて係というものが存在し

社会人になった今でも、帰り際に掃除をする文化がある

 

もちろん、自宅でも必要に応じて掃除をすることはあるのだが

いかんせん、職場のような「他者と共有している場所」になると埃を除去することはできても場所を移動することが難しくなってくる

 

復職した時に、出勤練習のために会社には出るものの、取引先に行くことはなく事務所待機で過ごしていた。

当然、簡単な事務仕事が終われば何をしたらいいかわからなくなる。

その時に、上司から「掃除をしてもらえないか。みんなが使いやすい環境にしたい」と提案してくれたのだ。

 

やることもない私にはうってつけの仕事だった。

掃除は嫌いだが、いざ始めてしまうと納得するまで止まらなくなってしまう性分だった。

 

早速、もっとこうしたらいいのに と思っていたことを実現することになったのだ。

書類の置き方を変える。充電スペースを作る。

ある物が複数箇所に置いてあったため、一箇所にまとめる等々。。

たった数日間のことだったが周囲から心配されるほど、暇な手をとりあえず動かしたいがために熱意を注いだ

 

その翌週だった。「ここにあったものがない」と同期に言われた

私は手をつけていない。なのに、周りの自然と目線が私の方にいく

私はそれに関しては触れていない。触れていないはずだけど、記憶にないだけで捨ててしまったかもしれない。触れていない証拠がない。

幸いそこまで必要なものではなかったため、 私の場合かもしれません、ごめんなさい で住んだものの、

埃を除去する以外のことができなくなってしまった。

 

転職して新しい場所へやってきた。

まだルールも確定していない不安定な場所で私はまた同じことを繰り返そうとしている

 

他の従業員と自分のものを分けたい。社長が置いてったプライベートのものを分けたい

そんなことを思いながら今日も埃を除去する。

 

朝ってなぜか憂鬱

 

朝起きた時、ちょっぴりだけお腹が痛くて目が覚める。

 

朝なんとなく意識が日常に戻ってきた時、ふと仕事のことを思い出す。

 

ああ、あれをしなきゃいけなかったんだ

ああ、あれを考えないといけなかったんだ

 

ずっと眠れていたらいいのに

ずっと忘れられたらいいのに

 

そんなことを思いながら起き上がってトイレへ行く

 

今週はずっとこんな感じ。

 

 

 

2月にも一時的にメンタルがやられて、かかりつけの漢方医へ泣きながら受診した

 

「考えすぎだよ(笑)。気の流れは大丈夫」

 

 

何が大丈夫なのか全然わからなかったけど、先生から見たら大丈夫みたい

 

そんな受診した日を思い出しながら、私は今日も漢方を飲む

 

 

なんとなく、漢方がお守りになってる。

大丈夫、漢方を飲んだから今日の私も乗り越えられる。

 

人は何かにすがらないと潰れやすいのかもしれない

 

だから、宗教が存在したり、コーヒーやお菓子がよく売れたり、酒やタバコをやめられない人がたくさんいる

 

そんなの必要ないじゃんか って思うミニマリスト精神があったけど

 

時には人の支えになるきっかけを社会が複数置いているのかも

 

 

経済云々は置いておいて、そんな社会だと捉えたら自分ももっと楽に生きられるかな。

 

 

朝は何かと憂鬱。でも外に出て嫌だったなと思うことはない。結果オーライ。

今日も一日、のんびり過ごしましょ

 

 

 

アクセサリー買えない?買わない?

 

昔どんな記事を書いてたんだろうと読み返していた。

 

 

ronron.hatenadiary.jp

 

 

現在の私は結婚指輪1つのみです。

 

過去ブログの後も安いアクセサリーを買ってみたり、誕生日プレゼントにネックレスを付けることはありましたが、結局結婚指輪しか付けてないんです。

 

職場のルールが厳しいから?

いいえ、過去記事書いた時にはアクセサリーだらけ、金髪の子がいたくらいでした。

去年からいる職場は髪色にも強くいうことはありません。アクセサリーをこっそり付けてる子もいましたけど、そんなこと指摘する人はいません

新しい職場も、空き時間に化粧し始める子までいますが、私はそれをみて「私も同じことをやろう」と思わないんです。

 

中〜高校の校則が厳しかったから、それが体に染み付いてる?

手入れをするのが面倒だから?

 

それもあるかもしれない。

どんな理由にせよ、”今の自分にはアクセサリーが必要ではない”

これに尽きるんですよね。

 

「現在の自分にはアクセサリーの優先順位が低くなった」ただそれだけなんです。

 

「アクセサリー買えない病」

これは本当に病気なんでしょうか?

 

医学では病気を「体の機能、構造、器官などの断絶、停止、障害」すなわち正常状態からの逸脱と定義することが多いが、「正常」という概念そのものが不確かである。突きつめていくと「異常でないこと」という語義反復の矛盾に陥ってしまう。自然科学的に病気を定義することはむずかしい。

 17世紀のイギリスの医師トマス・シデナムは、病気を動物や植物と同じく一つの実体であると考え、動物学や植物学のように病気を分類しようと試みた。しかしこの試みは失敗している。それ以後も同種の試みが幾度も繰り返されたが成功していない。それは病気が実体だという最初の仮定が間違いだったにすぎない。病気の本性について、アメリカの医学者エンゲルハートらは「病気という概念は病人が属す文化や社会のもっている価値や信条によって構成される」という考え方を提唱した。つまり、病気とは実体というより文化や社会による決め事という側面が大きくからんだ概念である。

 

コトバンクより引用

 

 

そう!結局文化や社会の価値に振り回されるだけ!

当時の私は、アクセサリーを買うことができない”病気”と思ってた

ここが、現在の私の違和感。

何となくアウトプットしたことから、こんな気づきが出てくるとは思わなかった。

 

何となく書いてたブログにも、自分の成長は感じるものですね。

思考の紐

 

いろんなことが浮かんでは消え、浮かんでは消え

 

浮かんできたことに対して嬉しくなったり悲しくなったり

 

突然笑い出したかと思えば、ちょっとした相手の言葉にうるっときてしまったり

 

「情緒不安定だね」なんて夫には簡単にまとめられちゃったけれど

 

私の脳みそって「情緒不安定」の一言じゃ言いくるめられない

 

たくさんの思考、仕事や将来、お金、子供、家族

 

これらの一本一本の紐がぐちゃぐちゃに絡まってる

 

誰か助けてくれと思っても、私の脳みそは私しか見れないし、

 

私が何かしらの情報を取り入れて、それをヒントに紐解いていくしか方法がない

 

「なんでこうなってしまったんだろう」って言葉が込み上げてくるけれど

 

 

一人暮らしをするために県外の大学へ行ったこと

 

今の夫に出会えたこと

 

新卒で看護師を選択しなかったこと

 

看護師を選択しなくても資格を取ったこと

 

実の家族と縁を切ったこと

 

看護師に戻ろうと行動したこと

 

車の免許を返納せずに、車に乗る仕事を選んだこと

 

夫と結婚したこと

 

地元から離れたこと

 

こんなにたくさん、自分の意思で選んだことを後悔していない事実はたくさんある

ほら、9個も出てきた。(最初から数えたらたくさん浮かばせようと必死になっちゃうだろうから、浮かんできてから数えた。)

 

思考の紐をぐちゃぐちゃにしてるのは自分自身

紐を解くのも、紐を減らすのも、紐を切るのも自分次第。

選択するのは私自身なんだから、相手のせいにはしない。全部責任は自分。

 

さんざん仕事で、患者に選択する立場に置かせてるくせに、いざ自分が選択する立場に置かれた瞬間不安ばっか

思わずその構造に笑ってしまう

 

 

今日もいい天気。あったかい。

スタバのオーツミルクのカフェミストが染みる。

あー、私今日も生きてるんだなぁ。そんな月曜日の始まり。

 

久しぶりに

 

 

最近心が不安定なことが多かった。

いろいろなことが嫌になって、今の自分をリセットしたい気持ちが先走ったばかりに逃げだすように引越しと転職をした。

職種も大きく変わった。

あんなに「運転免許なんて早く返納したい」とか「運転免許の顔が不細工だから嫌だ」が口癖のようだった私が、

今じゃ仕事で車を使うことも増え、「ドライブ楽しい」「いろんな車に乗ってみたい」なんて口にするようになった。

気づいたらもう26歳。学生を終えた時の私と今の私、何か成長してる部分はあるのかな。

見た目ばっかり大人びちゃって、何も変わってない、、、なんてことないよね。

 

ミニマリストはいまだに継続している。あれだけ物を捨てても、見栄だけは捨てられなかった自分がいつの間にかオールインワンジェルと日焼け止めしかしていない。

貯金は無くなっちゃったけど、レーシックと歯科矯正、眉毛のアートメイクをした。

 

引っ越したことで友達は全然いなくなっちゃったけど、おかげで全然お金を使うことは減った。見栄は学生時代の2割ぐらいになった気がする。

夫に対して不満を持つこともあったけど、今は夫しかいないからすごく心の支えになってることを実感する。あの時はごめんねって思い出すこともしばしば。

 

ネガティブで、お豆腐メンタルで、自己肯定感の低い私が、

少しでも自分らしく 夫と楽しい毎日を送るために

そして誰かの役になりたいな と思ってブログを再開しました。

 

とりあえず、休日何もすることないから週1でやろうかな

夫に「一緒にFIREしよう」「俺はお金の勉強を最近始めたよ」そうか、そんな手もあったのか

動物を飼いたいな、夫といろんな世界を見たいな

薬を飲まない生活、ちょっとやそっとでへこたれない自分づくりをしたいな

⏫の内容をアウトプットする場を作ろう!=ブログやろう!

 

今の希望はそんなかんじ。です。