私の脳みその中

思考整理するための場所。雑多です

アクセサリー買えない?買わない?

 

昔どんな記事を書いてたんだろうと読み返していた。

 

 

ronron.hatenadiary.jp

 

 

現在の私は結婚指輪1つのみです。

 

過去ブログの後も安いアクセサリーを買ってみたり、誕生日プレゼントにネックレスを付けることはありましたが、結局結婚指輪しか付けてないんです。

 

職場のルールが厳しいから?

いいえ、過去記事書いた時にはアクセサリーだらけ、金髪の子がいたくらいでした。

去年からいる職場は髪色にも強くいうことはありません。アクセサリーをこっそり付けてる子もいましたけど、そんなこと指摘する人はいません

新しい職場も、空き時間に化粧し始める子までいますが、私はそれをみて「私も同じことをやろう」と思わないんです。

 

中〜高校の校則が厳しかったから、それが体に染み付いてる?

手入れをするのが面倒だから?

 

それもあるかもしれない。

どんな理由にせよ、”今の自分にはアクセサリーが必要ではない”

これに尽きるんですよね。

 

「現在の自分にはアクセサリーの優先順位が低くなった」ただそれだけなんです。

 

「アクセサリー買えない病」

これは本当に病気なんでしょうか?

 

医学では病気を「体の機能、構造、器官などの断絶、停止、障害」すなわち正常状態からの逸脱と定義することが多いが、「正常」という概念そのものが不確かである。突きつめていくと「異常でないこと」という語義反復の矛盾に陥ってしまう。自然科学的に病気を定義することはむずかしい。

 17世紀のイギリスの医師トマス・シデナムは、病気を動物や植物と同じく一つの実体であると考え、動物学や植物学のように病気を分類しようと試みた。しかしこの試みは失敗している。それ以後も同種の試みが幾度も繰り返されたが成功していない。それは病気が実体だという最初の仮定が間違いだったにすぎない。病気の本性について、アメリカの医学者エンゲルハートらは「病気という概念は病人が属す文化や社会のもっている価値や信条によって構成される」という考え方を提唱した。つまり、病気とは実体というより文化や社会による決め事という側面が大きくからんだ概念である。

 

コトバンクより引用

 

 

そう!結局文化や社会の価値に振り回されるだけ!

当時の私は、アクセサリーを買うことができない”病気”と思ってた

ここが、現在の私の違和感。

何となくアウトプットしたことから、こんな気づきが出てくるとは思わなかった。

 

何となく書いてたブログにも、自分の成長は感じるものですね。